行かないのに気になってしまう

2025年4月13日、大阪・関西万博が開幕した。 未来社会を体験できる一大イベント…らしい。
でも、僕は行ってません。そして、たぶん今後も行かないと思う。
ただ、ここからがややこしい話で、 行かないくせに、X(旧Twitter)やYouTubeの現地レポをめちゃくちゃ見てしまってる。
何がそんなに気になるのか? 一言でいうと、「ツッコミどころが多すぎる」からだ。
なにこのトイレ。なにこの物価。なにこのマスコット。 情報だけがどんどん流れてきて、見てるこっちは脳が忙しい。
行かないのに、めちゃくちゃ気になる。そんな不思議な存在感が、いまの万博にはある。
いや、ツッコミどころ多すぎて逆に気になってきたんよね。
SNSで見る“もうひとつの万博”
SNSで流れてくる“万博あるある”、これがもう…カオス。 「トイレが未来すぎて使い方わからん」 「ARナビ、なぜか逆方向に案内してくる」 「アプリで予約したのに、現地で『予約されてません』って言われた」 どれも真偽は分からんけど、“ありそうすぎる”のが一番怖い。
一番衝撃だったのは、「日陰もない場所で6時間待たされた老夫婦がいた」って投稿。 しかもスタッフに「もう少しお待ちください」って言われたまま、誰も案内に来なかったとか。 もちろん、公式に認められた話ではないけど、「ああ、現場では起きてそう…」って想像してしまうのが、もう怖い。
そしてミャクミャクね。 「無言で背後に立ってた」「近づいてくる速さがホラー」って投稿が並んでて、 もはや未来じゃなくて都市伝説やん。
だから僕は、堂々と“行かない派”を名乗るし、その視点からこうして書いてることに意味があると思ってる。 これは消極的なスタンスじゃなくて、情報時代ならではの能動的な関わり方なんだ。
「自分なりに接点をつくる」ってことができるようになった今、 たとえ万博に行けなくても、自分なりの万博をつくれる時代なんだと思う。
だから今日のこのブログも、きっと誰かへの「小さな橋」になってくれると信じてる。
ミャクミャク、都市伝説化してるのほんと草。
共感型参加という新しい関わり方
でもその一方で、「AR展示で泣いた」「海外パビリオンで感動した」「子どもがドローンショーで目を輝かせた」みたいな声もちゃんとある。 笑いと感動の振れ幅が大きすぎて、SNS越しでも情報のジェットコースターに乗ってるみたいや。
あと、地味に「予約して行ったのに展示が止まってた」とか「外国語対応が一部だけ」みたいな声もある。 でも、そういう小さなズレも含めて“体験”なんだね。未来技術を詰め込んだ分だけ、予期せぬトラブルもある。 現場で混乱しながら「逆に思い出になった」とか「むしろネタにして笑ってる」って人が多いのが救いやわ。
そして、そんなふうに考えながら文章を綴ってると、ちょっとだけ希望がわいてくる。 この言葉が、どこかの誰かに届いて、「わかる!」って思ってくれたら、 それだけで“もう一つの万博”が成立する気がする。 たぶんそういうのが、僕にとっての“未来とのつながり方”なんだろうな。
僕にとっての万博は、たぶん「感情の交差点」みたいなものだったと思う。 行った人、行けなかった人、それぞれの視点が交わる中で、 自分の中にも“未来”が映し出されていった。 それは展示の中身より、そこに関わる“誰か”の気持ちに触れたから。
現地に行かずに感じたこと
僕が現地に行ってない理由は、単純に「何を見るのか分からなかったから」。
「未来が体験できる」って言われても、実際どんなものがあるのかピンとこなかったし、 正直、そんなに惹かれなかった。それだけの話。
でも、SNSを通して、誰かの体験を“ツッコミつきで”追体験しているうちに、 だんだん自分の中でも「これは面白いぞ」って気持ちが芽生えてきた。 それって、ちょっとした関与だし、ちょっとした参加だと思う。
結果、意外と豊かな体験が得られてしまった。 たこ焼きの味は知らない。 でも、8個1250円の重みは、いろんな声を通じて理解できた。 ドローンショーは見てない。 でも、それを見た子どもたちの歓声が耳に残った気がした。
行かなくてもこんなに考えさせられるとは…時代やなあ。
こういう時代に生きてるんだなって、しみじみ思った。 そして僕も、その流れの中にちゃんといた。 それだけで、なんか嬉しかった。
僕の未来とのつながり方
だから僕は、堂々と“行かない派”を名乗るし、 その視点からこうして書いてることに意味があると思ってる。 これは消極的なスタンスじゃなくて、情報時代ならではの能動的な関わり方だ。
「自分なりに接点をつくる」ってことができるようになった今、 たとえ万博に行けなくても、自分なりの万博をつくれる時代なんだと思う。
そして、そんなふうに考えながら文章を綴ってると、ちょっとだけ希望がわいてくる。 この言葉が、どこかの誰かに届いて、「わかる!」って思ってくれたら、 それだけで“もう一つの万博”が成立する気がする。 たぶんそういうのが、僕にとっての“未来とのつながり方”なんだろうな。
僕にとっての万博は、たぶん「感情の交差点」みたいなものだったと思う。 行った人、行けなかった人、それぞれの視点が交わる中で、 自分の中にも“未来”が映し出されていった。 それは展示の中身より、そこに関わる“誰か”の気持ちに触れたから。
そして思った。 もしかしたら、こうして「見て」「考えて」「言葉にする」ことが、僕なりの“未来参加”なんだって。
現地に行ってなくても、万博がどんな空気で、どんな反応を生んでるかを感じることができた。 そういう経験が、僕の中で何かを動かしてくれてる気がする。
だから万博は、ただのイベントじゃなくて、感情の受け渡しの場なんだと思う。 僕も誰かの気持ちを受け取って、こうして言葉にしてる。 それって、すごく尊いことだと思う。
















